子育て雑記帳
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生きるということ・死ぬということ
日記の日付: 2005年1月14日金曜日日記タイトル: 生きるということ・死ぬということ (コメント |トラックバック)
2004年に新たに我が家のメンバーに加わったひまわりをはじめとする三人のこどもたちから日々「生きる力」を感じる一方、厄年の年齢にもなると命の火が消えていく場面に遭遇することも多くなってきました。長い闘病生活の末、家族に見守られながら、静かに息を引き取った人。人知れず、死んだ人。脳溢血で突然倒れてそのまま亡くなった人。いろいろな人がそれぞれの人生を歩んできたことを実感します。
20年以上前父方の祖母が亡くなる寸前にお見舞いに行ったときのことです。僕を見て、「たかし、たかし」と呼ぶのです(ものぐさ父さんの名前は「たかし」ではありません)。相槌を打ったあとに「たかし」とは誰かを親戚に訊くと、若くして亡くなった祖母の弟であることがわかりました。よくできた人で祖母も非常にかわいがっていたとのこと。たまたま残っていた写真も見る限りでは外見が特に似ているというわけではありませんでしたが、僕の中のどこかに自分の弟を見つけだしたのでしょう。生き抜くために何十年も大切にしまってあった暖かい記憶が死の直前にわき上がってきたのでしょう。
父親が12歳の時に、新聞記者だった夫(祖父)を失い、(当時の新聞記者は非常に高給取りでしたから)贅沢な暮らしから突然どん底に落ち、戦争も経験しながら女手一つで3人のこどもたちを育て上げた祖母は、非常にまじめで厳格な人でしたが、僕のことはとてもかわいがってくれました。びしっとしていた祖母をこどもながらに尊敬していました。
最後の最後に思い出すほどかわいがっていた弟を僕の中に見つけてくれたことをうれしく思いました。
「やさしいあくま」を紹介したときにも書きましたが、3人のこどもたちは「死」を理解できません。さすがに小学校2年生の長男は、頭では理解できているのでしょうが、感じることはできていないでしょう。祖母が亡くなったときも、悲しい気持にはなりましたがそれを理解していたとは思えません。本当の意味で死を感じることができるようになったのは、本当に最近のことです。
何年かすると僕にも「死」が自分自身に起こる現実としてせまってくるでしょう。それまでにやりたいこと、成し遂げたいことのために努力し、こどもたちに伝えたいことは伝えていきたいと思います。
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